本日はカリブの様々な一面のひとつ、「テレビゲーム大好き」について語りたいと思います。
カリブの青春時代は常にゲームと共に歩んできたと言っても過言ではありません。そのゲーム愛は平均的な少年のそれとはとは大きく異なっているはず・・・!
そこで今回はカリブがゲットした順に家庭用ゲーム機を紹介し、当時の記憶を紐解いていきたいと思います。
家庭用ゲーム機との出会い
さかのぼること約30年前、カリブの家に初めてのゲーム機がやってきた。そう、家庭用ゲーム機のパイオニア「ファミリーコンピュータ」である。

小学2年生頃だったろうか。友人宅で遊んだ「スーパーマリオブラザーズ3」が忘れられず、誕生日プレゼントで買ってもらったような気がします。
当時のテレビには接続端子などなく、RFスイッチという装置を介して、1または2チャンネルに映し出すという、今では考えられない方法でゲーム画面を映し出していました。
お世辞にも綺麗な映像では無かったにせよ、当時の子供たちは友人宅に集まってはサルのようにゲームを交代で遊び、ドット絵の向こうに無限の世界を感じていました。
カリブ宅では特に「星のカービィ~夢の泉の物語~」で盛り上がっていた記憶があります。
スーパーファミコンとプレステ
時は流れて1994年。世間で話題になっていたのはソニーの次世代機「プレイステーション」でした。インパクトのあるCMとグラフィックの綺麗さ、3Dポリゴンという武器を携えて任天堂一強のゲーム業界に参入してきました。
そんな世間の流れとは関係なく、カリブが新たに購入したのは発売されて久しい「スーパーファミコン」でした。

ファミコンを5年以上骨の髄までしゃぶり尽くし、気がつけばスーファミの波に乗り遅れていました。しかし魅力的なタイトルがまだまだ発売されていたため、次世代機など候補にすら入っていませんでした。
「ロックマンX」シリーズや「ドラゴンクエスト」の5・6・Ⅰ・Ⅱ、「星のカービィスーパーデラックス」、果ては「RPGツクール」など、少年のハートを鷲掴みにするタイトルを次々とプレイしていました。
2年ほどすると、プレイステーションがコントローラーの2m化と標準で2個付属にした上で値下げを敢行しました。「乗るしかない、このビッグウェーブに!」とばかりに1996年にプレステを購入しました。

奇しくもその翌年に発売された「ファイナルファンタジーⅦ」で一気にプレステは家庭用ゲーム機の王者として認知され、様々なメーカーが参入してきました。
カリブは「キングオブファイターズ」シリーズや「ワイルドアームズ」、「アーマード・コア」シリーズにのめりこんでいきました。学校帰りに友人宅で「みんなのGOLF」をして遊んでいたのは今でも覚えています。
中古ゲーム機でお試しプレイ
中学~高校生時代には近所にリサイクルショップができたため、中古のゲーム機が容易に手に入るようになりました。そこで様々なゲームハードを購入→プレイ→売却というサイクルを繰り返しました。
・PCエンジン

今は無きハドソンが発売した8ビットゲーム機。ファミコン以上のグラフィックと音楽が特徴で、コントローラーは1個が標準。ソフトの形状がカード型で妙にカッコ良かったです。「R-TYPE」の完成度の高さが印象的でした。
・PCエンジンスーパーCDROM2

PCエンジンを合体させて使うCDソフトの再生機。8→32ビット化することで音楽や2Dグラフィックが大幅にパワーアップするという、非常に少年心を刺激する強化服的なハード。ただしソフトのラインナップは微妙だった気がします・・・
・メガドライブ

ご存知セガから発売された伝説級のハード。世界的には「ジェネシス」という名前で成功したらしい。「ソニック」のキャラクターを世に知らしめた。スーファミ並の性能だったが日本では敗北。しかし「ファンタシースター」などの隠れた名作が多かった印象です。
・ネオジオCD

当時格闘ゲームで一世を風靡したSNKによるゲーム機。当然ソフトも格闘ゲームが多かったが、ゲームデータの読み込みが異常に遅く、イライラしながらプレイしていた記憶しか残っていません。
・メガジェット

持ち運び可能なメガドライブ・・・とは言え画面はついておらず、テレビと接続して本体を手で持ちながらプレイするスタイルでした。ソフトもメガドライブと共通であり、何のために発売したのか良く分からないハードでした。
・バーチャルボーイ

ゲームボーイを開発した横井軍平氏が世に送り出した、世界初?の立体視できるゲーム機。三脚に立てたゴーグル型の本体を覗き込むプレイスタイルは、傍から見ると異様そのもの。画面が赤一色のため、30分もプレイしようものなら目が疲れて仕方が無かった。時代を先取りしすぎた尖がったハードでした。
プレイステーション2

そして2000年、人気絶頂のプレステの後継機が発売されます。定価は4万円と強気の設定で、当時黎明期だったインターネットでの先行予約も行われました。
もちろん先行予約して購入しようとしたカリブでしたが、間違って2台注文してしまうというミスを犯してしまいます。欲しがってた友人に1台肩代わりしてもらって難を逃れたのも今となっては良い思い出です・・・
プレステとは比べ物にならない程の描画性能と、当時としては画期的だったDVDプレーヤーとしての機能もあり、更には初代プレステのソフトも遊べるという神のようなハードでした。
「ギルティギア」シリーズや「アーマード・コア」や「ワイルドアームズ」の続編など、長きに渡ってカリブをテレビの前に釘付けにしてくれました。
「RPGツクール3」で自作のRPGを友達にプレイさせて楽しんでいたあの頃が、家庭用ゲーム機で遊んでいて一番楽しかったような気がします。
ドリームキャスト

セガが世に出した最後のゲーム機。プレステ2とのシェア争いに敗れて投げ売り状態になったため購入した記憶があります。
GD-ROMという微妙な規格のディスクで容量不足でした。メモリーカードが単体でも携帯ゲーム機として使えるようにになっていました。
「パワーストーン」と「サクラ大戦3」のために買ったと言っても過言ではありません。
そのままプレステ3~4へ…
そして順調にゲーム好き男子からゲーム好き青年へと育ったカリブは、プレステ3・プレステ4とステップアップしていきます。

しかしゲーム映像という点ではプレステ2→3の時はあまり革命的ではありませんでした。その一方で「ブレイブルー」や「ガンダムバーサス」シリーズなど、ゲームソフトの質と量は衰えずに推移していました。

現行の最新機であるプレステ4ではオンラインプレイやダウンロード販売が当たり前となり、ゲーム業界が新たなステージに来たな、と感じられるようになりました。
しかし裏を返せばパソコンゲームとの境界線が曖昧となり、「家庭用ゲーム機」というジャンルはそろそろ限界なのでは?と思うようにさえなってきました。
最後に
こうやって思い返すと、節操無くゲームばっかりやってきましたね・・・もっとまともな青春時代を過ごしていれば、今とは違った人生を歩んでいたのかもしれません。
しかし私は後悔していません。ゲームの数だけ物語があり、思い出があります。時代が変わっても、誰かと一緒にゲームをする、という楽しさは変わっていないと思います。
ゲームで繋がる絆や友人関係もありました。現在ではコミュニケーションツールとしての側面も持ち合わせる「ゲーム」という文化は、もはや巷に溢れたスマホゲームがその住民権を証明しています。
そんな日本のゲーム文化が今後どうなっていくのか?期待に胸を膨らましながら、私はこれからも適度なゲーム生活を続けて行きたいと思います。
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