我々の住む日本には6,852個もの島があり、そのうち北海道と本州・四国・九州は「本土」と呼ばれています。
2010年の住民基本台帳に基づく有人島は303あり、2015年の国勢調査に基づいた値としては有人島が418個となっています。
私はいつの頃からか、そんな「人が住む島」に魅力を感じ、行ったことも無いのに島での暮らしを想像してニヤニヤしていました。
特に「橋で本土と繋がっていない離島」や、「特殊な経歴を持つ島」に魅力を感じます。
ほとんどの有人島は、昔に比べて人口が減少し、過疎化が進んでいます。しかし戦後間もない頃は復員兵の帰郷などにより多くの住人が居たといいます。
そんな当時の賑わいを妄想しつつ、wikipediaなどで昔の島の空撮写真と現在の衛星写真とを比べながら「畑の作付け面積が減ってるなぁ」とか、「港が整備されて広くなってる」とかの分析までしています。
暇さえあれば離島について調べたり、googleマップで衛星写真を見ているカリブが、印象に残っている島について少しご紹介します。
題して「カリブ夢の島」です。
いや、やっぱりダサいのでやめておきます・・・
二重カルデラの島、青ヶ島

まずは東京都の伊豆諸島にある「青ヶ島」です。
絶海の孤島であり、島の周りには断崖絶壁が広がっているため上陸の難易度が高いです。
外界から隔絶されているぶん、島の文化も独特だそうです。
特筆すべきはその形です。海底火山の噴火によってできたカルデラが外輪山ごと隆起してできた島のため、島の南部に二重に丸い凸凹があります。
付近の黒潮の激しさと天候に左右されて、貨物船の就航率が6割弱という到達率の低さが秘境感を更に高めています。
青ヶ島の数少ない産業として芋焼酎があるらしく、一度は訪れて飲んでみたいですね。
湖の中の有人島、沖島

次は滋賀県の琵琶湖内に浮かぶ有人島、「沖島」です。
近江八幡市の沖合いに浮かぶこの島は、面積1.5k㎡に約250人が生活しています。
この島は日本で唯一の「淡水湖に浮かぶ有人島」だそうです。
島には自動車や信号機は無く、ネコが多く生息しています。
島内の移動手段は主に徒歩または自転車で、家一軒あたり一隻以上の船が所有されているとのこと。
この島もgoogleマップで探索し、「意外と民宿が多いなぁ」とか、「こんなところに神社がある!」と見つけて楽しんでいます。
船の所有率が高いため、「自転車感覚で船に乗って対岸の市街地に買出しに行ってるんだろうなぁ」、などと妄想しています。
企業の所有島だった、南大東島

こちらは沖縄県にある南大東島で、面積は30.53k㎡あり、沖縄県の島の中では6番目に大きな島です。
サンゴ礁が隆起してできた島であり、周囲400kmに渡って陸地の無い絶海の孤島です。
島の周りの海も深く、沖へ2kmほど出れば水深1,000mに達します。
この島で注目したいのがその歴史です。
1900年(明治33年)に開拓が開始された後、大日本製糖という会社が島全体を所有しました。
なんと町村制は施行されず、独自の自治をしていました。
そのため島民は全て製糖会社にサトウキビを納める小作農であり、島への渡航手段から学校・商店・郵便局まで全て社有だったそうです。
最盛期には4000名を数えた島内の人口も、大戦末期の疎開や空爆によって激減し、現在は約1400人に減っています。

さらに島内にはサトウキビ運搬用に敷設された専用軌道があり、1983年まで使われていたそうです。
企業の自治・サトウキビ運搬鉄道・重労働の小作農・・・
当時の島民の暮らしなどを想像してしまいますね。
山形県唯一の離島、飛島

山形県に島なんてあったっけ?と思って開いたwikipediaのページに載っていたのが飛島(とびしま)でした。
酒田港から北西40キロの沖合いに浮かぶ面積2.75k㎡の島に210人ほどが暮らしています。
江戸時代には北前船の潮待ち港として栄え、近代では日本発の公衆無線電話が飛島ー酒田間に開通し、現在では酒田市の一部となっています。
対馬海流の中にあり、本土側よりも年平均気温は高くて約12度あります。
しかし冬季は日本海が荒れ、1週間以上欠航となり絶海の孤島となる場合もあるそうです。
島内には重油による火力発電所があったり、通信は無線の基地局から有線で行っていたり、ゴミやし尿は運搬船で本土まで運ばれて処理されています。
こういったwikipediaの情報を見てしまうと、やはり島民の暮らしを想像してしまいますね。
石材供給地の島、犬島

岡山県唯一の有人離島である「犬島」は、わずか0.54k㎡の中に約50人が暮らしています。
この島は古くから良質の石が採れたらしく、切り出した石を船に載せて運搬し、岡山城や大阪城の石垣に使われたといいます。
しかしあまりに食糧生産性の低い島であったため、一時は無人島となり、17世紀後半にようやく2世帯が移住してきました。
近代に入ると大阪港の改修のため必要となった石材の切り出し場となり、島の4分の1以上が採石地となりました。
こうして一大産業となった採石事業のおかげで、明治末期には島に常時5~6千人が居留し、港周辺には歓楽街まで形成されたといいます。
その後は倉敷にあった鉱山の精錬所としても栄え、工業の島として発展したものの、1960年代には全て撤退してしまいました。
現在では芸術に注力していて、「犬島アートプロジェクト」と称して精錬所跡を利用した美術館を建てたり、「瀬戸内国際芸術祭」の舞台にもなっています。

馬の楽園、ユルリ島

最後にご紹介するこの島は、実は有人の離島ではありません。
1971年(昭和46年)に無人島となってしまいました。
その名は「ユルリ島」。
北海道の根室市にある、本土から2.6km離れた位置にある島です。
この島には野生化した馬がいることで有名で、隣のモユルリ島とともに1982年に鳥獣保護区に指定されました。
島は20~40mの高さで平坦であり、内部には高層湿地が発達し、そこから小河川が流れ出しているため牧草地となっています。
長らく船の停泊地や昆布漁家として使われ、大正時代の終わりごろから昆布を高台へ引き上げるため、馬の放牧が始まりました。

その後人間が島を去り、馬だけが残されました。16~30頭いた馬は2006年に種馬が間引きされて14頭の牝馬だけになり、2014年には5頭まで減ってしまいました。
しかし最近の2018年になって、島の環境を守るために馬の購入資金が集められ、同年秋に3頭の馬が持ち込まれて、今に至ります。
人間が居たことを証明するかのようにひっそりと生き続けている馬が、今日もユルリ島の草原を駆け巡っています。
最後に
さて、今回はカリブの記憶に残った印象的な島をご紹介しました。
離島には本土とは隔絶された独特の文化や風習、島独自の時間の流れ方があると思います。
生活圏が一つの島の中で完結している自給自足感や箱庭感、都会には無い隣人たちとの密接なつながりが、そこにはあります。
きっと私はそういう所にロマンというか、魅力を感じるのかもしれません。
本土側から見た感想なので、現地の人たちからすれば見当違いなのかもしれませんが…
他にも日本にはまだ知らない魅力的な島々がきっとあるはずです。
あなたも暇な時間ができたなら、wikipediaやgoogleマップを使って島の歴史を調べたり、バーチャル旅行をしてみてはいかがでしょうか。
きっと面白い発見があなたを待っているはずです。
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